The Economist誌、11月14日号に掲載されたデリバティブの解説記事の最終日です。
珍しく記事の主張と自分の主張がかなり重なっているような気がします。私自身、デリバティブは有用なものだと思います。でも使う人がそれなりの知識と管理能力がなければいけないとも思います。仕事で事業法人の財務部門でデリバティブを取扱う方々と会うことがあります。リスク管理に対する考え方が驚くほど稚拙なのに驚くことがあります。評価も期日管理も取引先の銀行に任せきり、という状態であることもあります。ヘッジを行いリスクを回避することは費用がかかることなのだ、ということを認識することがまずは事業法人でも必要だと思います。最もこういった状況を作り出したのは、売りやすいことを理由にゼロコストのストラクチャーをたくさん作った金融機関でもありますが。
今までのように骨抜きの規制にならないことを切望します。
The Economist誌、11月14日号に掲載されたデリバティブの解説記事の四日目です。
様々な問題の提起がされた所で、現在行われている改革の内容の整理に話題が移っています。規制当局の提案では、デリバティブを中央決済機関で決済するようにし、特定の取引相手先が破綻した場合でも、金融システム全体に影響が及ばないようにすることと、複雑さを軽減するために取引所取引に移行させることを求めています。
決済を集中させることだけでも問題は色々あるようです。決済機関に対する銀行の影響を減らすために株式保有の制限をかけるべきか、決済の対象となるデリバティブの範囲をどうするか、決済期間自身の安定性をどうやって確保するか、などです。
今日から数日間かけて、The Economist誌11月14日号に掲載されたデリバティブの説明記事を紹介します。そもそもデリバティブとはどんなものなのか、といった基本的なことから始まり、その歴史、現在の議論の内容など多岐に渡った内容のようです。最近このブログでもデリバティブの規制に関する記事を多く載せていますが、それらの理解を深めるためにも、この記事をしっかり読んでおくことは有用だと思います。
今日紹介する部分では、デリバティブは、先物、オプション、先渡し、スワップといった形式があり、原資産はほとんどどんな資産でもよい、とその概要を説明しています。その上で、事業会社が自ら負っているリスクを他に移すためのものであるとしています。有用なものでありながら、過去に起きた金融危機の中核に存在したことが何度もあり、その度に規制強化の動きが起きてきています。
2009年11月14日付け、The Economist誌のLeader欄に掲載された記事です。
デリバティブ規制に関する現状をまとめた記事です。基本的なメッセージは、デリバティブは有用性があるが、規制は必要、ということです。この記事が指摘するとおり、デリバティブは企業が様々なリスクに対する保険を提供するものです。リスクの種類は詳細に見れば千差万別なのでしょうが、基本的な性格はそれほど変わるとは思えません。例えば、輸出企業であれば円高を嫌うでしょうし、輸入企業の場合には逆に円安を嫌うことになります。どの水準まで耐えられるかとか、どの時点でヘッジをしなければいけないか、といったことは異なりますが、ヘッジしなければいけない内容は業態によってある程度に通ったものになります。そう考えると、取引所を通して提供させる画一的な契約で基本的なヘッジはできてしまうと思います。店頭デリバティブという形で企業ごとのニーズに合わせたテーラー・メードのリスク・ヘッジを提供させ続けることにどれだけの価値があるのでしょうか。経済的な価値を考えると、少なくとも後者は前者よりも割高にならなければいけません(仕立てた背広がつるしの背広よりも高いのは当たり前です)。もし、取引所に取引を集めると最終利用者のコスト負担が高くなる、というのであれば、店頭デリバティブの提供元はもっと自らが負うことになるリスクに対して対価を最終利用者から徴収すべきだと考えることはできないでしょうか。
もうひとつ考えられるのは、デリバティブをもっと単純にして仲介者をなくすことを試みることも可能ではないかということです。為替の例では円高を望む企業とそうでない企業が存在するわけです。それらの企業が直接交渉をして取引をすることができる場があっても言いように思います。取引所で取引を行うようになることがそれを可能にする第一歩です。金融商品に関するデリバティブは比較的歴史が浅いため、銀行が仲介者として機能してきましたが、商品を単純化し、取引できる場所を用意することで、仲介者に余分な費用を払うこともなくなり、また仲介者が必要以上のリスクを負うことで破綻する可能性を減らすことにもつながると思います。
2009年11月7日付、The Economist誌のFinance and economics欄に掲載された記事です。
転換社債という金融商品が昔からあります。債券として発行され利息が払われます。株価が値上がりすると投資家は株に転換することで株式を手に入れることができます。日本でもエクイティ・ファイナンスのひとつとしてよく用いられてきました。
今日の記事で紹介されている条件付資本は、記事を読む限りでは投資家側に転換権があるのではなく、一定の条件を満たすと強制的に株式に変換されます。しかもその条件とは、投資家にとって不利な状況になったときです。この記事の最後で説明されている通り、適切な対価を受け取ることなくこんな商品を買う投資家がいるのでしょうか。国が銀行を安定化させるためにこのような商品を金融機関から無償に近い状態で買っているのだとすると、新たな救済策だと考えてもおかしくないと思います。
ちょっと専門的な話になりますが、転換社債の場合には、投資家が発行体から株式を購入する権利(コール・オプション)を投資家が買っていることになります。したがって、その対価として投資家が受け取ることのできる利息が通常の債券よりも低くなります。条件付資本の場合には、発行体が投資家に対して株式を売る権利(プット・オプション)を発行体が買っていることになります。つまり転換権の費用を負担しなければいけないのは発行体です。その分金利を上乗せするのか、発行価格を低く抑えることをしなければ理屈に合わないことになります。
2009年11月7日付、The Economist誌のリーダー欄に掲載された記事です。
一部でうまく行っているように見えるヨーロッパでの銀行再建もまだまだ問題を抱えているようです。銀行はその規模を縮小するために資産の売却を進めています。ただ、単に地策なれば安全になると言うわけではないと思います。「生存可能」な銀行とは何か、という議論も行われていますが、私は議論の順序がおかしいと感じます。一般の利用者のために「生存させなければいけない業務」は何かと言う議論が先だと思います。必要のない、リスクの高い業務を抱えさせたまま、全体が「生存可能」かを議論しても将来もう一度金融危機を生むだけだと思います。
2009年10月31日付け、The Economist誌に掲載されたEconomic Focusの記事の後半です。
現状では預金金利が低く、また市場での借り入れが安価に行えるため、株式での資金調達は高くつくと言うのが銀行側の理屈のようです。でも、前者と後者は目的が違うように思います。前者は日々の業務を回すための資金調達、後者は何かあったときの安全弁として機能するものです。しかも前者が安価で行え続ける保証は全くありません。そもそもこの二つのコストを比較していること自体、あまり意味がないように思います。
銀行も私企業の一つとして潰れないような努力をするべきだと思います。最終的にはつぶされることはないのだから資本を積み増す必要はない、と考えているのだとすればそれはモラル・ハザードの最たるものでしょう。銀行は長い間、特別視されてきました。公共性が強いと言うのがその理由だと思います。でも、経営者が巨額のボーナスを受け取るために収益向上を優先し、公共性を後回しにするのであれば、もはや特別視をすることなく一般企業と同等に扱うべきではないかと思います。前にも書きましたが、決済機関としての公共性の高い部分は私企業としての銀行から切り離して官営にするのもありだと思います。
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